狭き門、そして、ユーリ【三部作】

マリアの、部屋に、久しぶりに、招待された、僕が、まっさきに、目にしたのは、彼女の、本棚だった。そこには、以前、僕らが、かわりばんこに、朗読した、書物は、ただの、一冊も、残されておらず、くだらない、陳腐な、宗教本の、背表紙が、ずらりと、並べられていたからだ。

 

「あら、どうされたの、そんなに、驚いた顔を、されて」

 

ふいに、出た、マリアの言葉にも、勿論、僕は、ショックを、受けた。

 

「君は、いつから、こんな本を、読むように、なったんだい」

 

「あなたと、一緒に、読んだ、ご本たちが、なくなっていることに、驚かれたのね。そう、最近、わたし、気づきましたの。たしかに、パスカルも、カントも、素晴らしい言葉を、残されました。ただ、私は、そんな、たいそう、偉大な言葉を残された、方たちの、ご本よりも、今の、つまり、この本棚に、並べられている、ご本たちのほうが、よっぽど、主に、そった考えを持って、しっかりと、土壌に、根を、生やされているということに、気づきましたの」

 

「何故って、ここに、並べられている、ご本たちは、皆、自分たちの、値打ちというものを、きちんと、わきまえて、生きてらっしゃるの、そう、自分たちは、なんの、力もなく、取るに足らない、無力な、存在であることに、きちんと、気づかれた上で、生きて、らっしゃるの。幾分、自分たちに、値打ちが、あるとすれば、それは、主の、見前に、立って、そう、主に、低く、頭 (こうべ) をたれて、主を、賛美するときだけ、幾分、自分自身に、値打ちがあるのだということを、よく、理解されて、生きて、らっしゃるの」

それから、僕は、マリアを、つかまえようと、何度か、うちを訪問したのだが、彼女は、いつも、忙しそうに、子供たちの面倒を見ては、老人の介護、家事といった、雑用に、追われており、結局、僕は、いつまでたっても、彼女のことを、捕まえることが、できなかった。

そんなとき、専任の、大学教授から、学会の方で、一つ、腰を据えて、やってみないか、という、話しが盛り込んできた。当時の僕は、確かに、将来設計のなかで、一流企業で、のし上がり、一旗揚げて、成功しようという、野望を、抱いていた。勿論、そのなかに、愛する、マリアも、そう、その生涯設計のなかに、組み込まれていた。

【SOL発射→キック👣】

僕らは、それから、二人だけの、誓の言葉をたてた、いつか、僕ら、ここではない、別の場所で、必ず会えるさ、と、それまで、目の前のことにキチンと向き合い、とにかく前を向いて、しっかりと、生きていく。それから、僕らは、口づけして、別々の場所を歩き出した。少し、サイズの合わない靴を、引きずりながら、お互いは、背を向け、真逆の進行方向へと、進んでいった。

その時だった、背中に激痛が走り、僕は、目の前に、四つん這いになり、倒れていた。そう、彼女が、真後ろから、僕の背中にドロップギックしていたのだ。彼女は、真顔で、僕を見つめて、「カンセイトウ」と、口にした。僕も、キョトンとした顔で、「カンセイトウ」と、口にした。彼女は、くるりと、また、後ろを振り返り、カンセイトウ、カンセイトウ、カンセイトウと、言いながら、そのまま、僕を背にして、どんどん、小さくなっていった。結局のところ、一度、愛し合った男と、女が、別れていくには、痛み、というものが、そこには、生じるものなのだ。そう、彼女が、その、憎まれ役である、ドロップキックを、苦しまぎれに、あえて、僕の背中に、食らわせることで、そう、僕が、少しでも、その痛みで、彼女のことを、嫌悪して、そう、彼女のことを、忘れやすく、するために、あえて、嫌われ役を、演じてくれたというわけだ。それから、僕も、むっくりと、立ち上がり、夜空に散りばめられた、満開の星をみあげながら、カンセイトウ、カンセイトウと、言いながら、新しい道を、歩きだした。

そのとき、ふと、カキツバタ アヤメ科の、花言葉を、思い出した。

「どんなに、離れていても、僕らの、心は、変わらない、いつかまた、遠い場所で再会しよう」