椎名林檎の、半世紀

椎名林檎、一風変わった、ネーミングで、音楽業界に、彗星のごとく現れ、幸福論を、皮切りに、歌舞伎町の女王、ここでキスして、が、爆発的な売り上げを叩き出し、なんと、その数たるや、一億人は、ザラにみないと、音楽評論家、専門家達の間では、密かに話題となった。その後の、活躍も、めざましく、類をみない桁数で、全米ナンバーワンの、座まで、あっと言う間に、登り詰めた。その頃、日本では、安室奈美恵のファン達の間で確立した流行語、所謂、アムラー世代が、作った俗語、渋谷系ヤマンバギャル、に、引き続き、林檎ファンたちの間では、新宿系と、遅れながらも、流行語大賞を確立。しかし、そんな華やかな一面とは裏腹に、本人の心のうちは、暗く、暗澹たる、細く長い道を、独り、歩いていた。
そう、メディアでは、彼女の、華やかな一面しか、取り沙汰されていない現実に、その、現実と、本人の、暗く、重たい気持ちのギャップのはざまで、ますます、彼女の心のうちは、意気消沈していくのであった。