村上春樹 著作 辺境・近況 の、抜粋

【辺境・近境 P223より抜粋】

スンブルからチョイバルサンまでの長い帰り道の途中で、草原の真ん中に一匹の狼をみつけた。モンゴル人は狼をみつけると、必ず殺す。ほとんど条件反射的に殺す。遊牧民である彼らにとって、狼というのは見かければその場で殺すしかない動物なのだ。動物愛護などという概念はこの国にはまったく存在しない。運転手は「行くか」も何もなく、さっさと道を外れてジープを草原の中に乗り入れる。チョグマントラ中尉(ちゅうい)は座席の下から馴れた(なれた)手付きでAK47自動小銃を取り出し、そこにマガジンをセットする。彼はマガジンを、黒いプラスチックのアタッシュ・ケースに入れていつも持ち歩いているのだ。そしてジープのドアを開けて身を乗り出し、狙い(ねらい)を定めて単発で、逃げる狼を撃ちはじめる。草原の真ん中で聞くAK47の銃声は「ぱあん、ぱあん」という乾いた小さな音で、想像したような凄み(すごみ)はあまりない。映画のサウンドトラックで聞くような、耳を聾する(ろうする)轟音(ごうおん)ではない。むしろそれは非現実的に聞こえる。どこかずっと遠くの世界でおこなわれている、僕には関係のないものごとの営みのように感じられる。僕は頭の中で、「そうだ、僕は今モンゴルの草原の真ん中にいて、そのとなりでチョグマントラが狼を撃っているんだな」とまるで他人事(ひとごと)のようにぼんやりと考えている。走って逃げる狼のまわりに、ぱっぱっと着弾の砂煙が上がる。しかし狼の動きは素早く、なかなか弾はあたらない。かすりもしない。狼はジープとの距離を計算し、小回りのよさを利用して、さっさっと向きを変えながら逃げる。最初のマガジンが空になり、チョグマントラは舌打ちしながら新しいマガジンをかしゃっとセットする。この男はいったいいくつマガジンを用意しているのだろう。運転手のナスンジャルグルは何も言わず唇(くちびる)をギュッと噛みしめて、ハンドルを右に左に切り、狼を追い詰める。結局のところ、最初から狼に勝ち目はない。狼のフットワークはいかにも敏捷(びんしょう)でクレバーだが、残念ながら彼らにはそれに見合うだけの持続力というものが備わっていない。あるいは彼らは馬には勝てるかもしれない―その確率はだいたい五分五分だとモンゴル人たちは言う。しかし遮蔽物(しゃへいぶつ)も溝も起伏も木立も何もないまっ平らな大草原の真ん中では、狼は四輪駆動車にはまず勝てない。自動車は決して疲れないからだ。それはただの大きな鉄の機械であり、肺というものをもたない。十分で狼は完全にへたってしまう。その肺はもう破裂寸前なのだ。狼は立ち止まり、肩で大きく息をし、覚悟を決めたように僕らの方をじっと見つめる。どうあがいてもそれ以上逃げ切れないことを、狼は知っている。そこにはもう洗濯技というものはない。死ぬしかないのだ。チョグマントラは運転手にジープを停めさせ、ライフルの銃身をドアに固定し、照準を狼にあわせる。彼は急がない。狼がもうどこにも行かないことを彼は知っている。そのあいだ狼は不思議なくらい澄んだ目で僕らを見ている。狼は銃口を見つめ、僕らを見つめ、また銃口を見つめる。いろんな強烈な感情がひとつに混じりあった目だ。恐怖と、絶望と、混乱と、困惑と、あきらめと、.........それから僕にはよくわからない〈何か〉。一発でその狼は地面に倒れる。身体(からだ)がしばらく痙攣(けいれん)しているが、やがてそれも終わる。小柄な雌の狼だ。季節からして、子供のために餌を探していたのかもしれない。僕はそのやせっぽちの狼が、鉄の車と鉛の弾丸からなんとか逃げ切ることを内心祈っていたのだが、結局奇跡は起こらなかった。死体に近寄ってみると、狼は恐怖のあまり脱糞していた。肩の少し後ろに銃弾は命中している。それほど大きな弾痕(だんこん)ではない。上着のボタンくらいの大きさの、丸い血の染みが現れているだけだ。ナスンジャルグルがポケットからよく切れる大きな狩猟用(しゅりょうよう)ナイフを取り出し【どうやらこの人たちはいつも手元に自動小銃やらナイフやらを置いて暮らしているらしい】、狼の尻尾(しっぽ)要領よくすっぱりと切り取る。そして切り取った尻尾を、狼の頭の下に敷く。これはモンゴル人の狩猟(しゅりょう)のおまじないのようなもので、「またこのように獲物に恵まれますように」という意味を持っている、ということである。