【神の導きによって生きる生き方の伝授】

林檎、佳子、あの、そろそろ、「神の導きによって生きる」ということが、どのようにしたら、実践できるのか?ということを、「伝授」する時期がきたので、ここに記す。まず、たとえば、何かの情報を知りたいと願い、インターネットで情報を集めるために、検索したり、図書館に足を運んだとする。まぁ、三人は、後者はまずないと思うが。インターネットで説明すると、たとえば、親の認知症について、気がかりで、「認知症」とインターネットで検索したとする。しかし、その時に、知りたかった情報が見つからなかったとする。それで、普通の人であれば、「自我」があるので、もっと、検索ワードを絞って欲しい情報にヒットするように検索かけるよな?👀しかし、違うのだ。この、知りたい情報を、とことん追求していく行為は人間の「自我」によって生きる「行為」であり、せっかく「神様」が「新しい方向へ導いて」あげようとしてくださっているのに、「人間の自我」によって、「邪魔」されているのだ。たとえ、自分の知りたかった情報がその時、見つからなかったとしても、その時、出てきた、あまり関係のなさそうな情報で、「少しでも気になる」情報が目についたら、(まったく、気になる情報がなければ読む必要はなし、知りたい情報を絞って次の検索をかけてよし)迷わずそのページを開き、読んでみること。本当は、早く、「認知症」についての詳しく、知りたいと思う気持ちがあり、さっさと、最初開いたページを閉じて、次のサイトにいきたい気持ちをぐっと『我慢』して欲しいのだ。最初、開いたページの角に、「認知症」については、まったく関係のない事柄が記入されている、むしろ「その文章の中」に、「神の導き」が「隠されている」のだ。だから、人生の軽い寄り道と考えて、そのページに記載された文章に目を通すこと。勿論、すぐに、その読んだ文章が、今の自分にとって必要なこととは、限らない。しかし、実は、あとあと重要になってくる。でも、その時、読んで、感じた感情や、文章は、特に暗記したり、覚えておく必要はない。しかし、もし、その文章が自分にとって「大切な情報」と考えるなら、ブックマークなり、ホーム画面に落とすなりして、保存しておくことはOK。とにかく、自分の「自我」である、知りたいと思っている「認知症」についての感情を少し「我慢」して、「関係のないページ」に目を通す。これが、「自分本位」の生き方ではなく、「神の導き」によって生きるという生き方なのだ。つまり、早い話が、「一つの知りたい情報にこだわらず」、毎日毎日ネットサーフィンしまくれって話😂村上春樹先生の「海辺のカフカ」に登場する、猫と話せる、知的障害の「中田さん」の行動がお手本。彼の生き方こそ、「神の導き」によって、「素直に」生きているのだ。「中田さん」は、「物事」が、思うようにいかないときは、『立ち止まる』のだ。そして、『無理に、物事をその場で、解決しようとはしないのだ。』もう、今のカギカッコ『.....』で囲われた「文章」こそが、これからの🍎、🎓、🦷3人の「生き方」の「モデル」になってくる。そして、「中田さん」は、人との『出会い』というのを、「意識」せずに「大切」にしている。🍎、🎓、🦷が、これから出会う人は、「すべて」「神」の「摂理」(せつり)によって、「導かれている」。一見、「仕事」とは「無関係」の人でも、「神」は、3人に何かしらの「メッセージ」を送られている。たとえば、新しく、自分をプロデュースする人(これは仕事関係だけど)、車から下りて、次の目的地(どんな至近距離でも)にたどり着く間に聞こえてきた「人」の話し声、急に降り出した雨(今から始めようとしている企画が、あまり、良い方向には向かわない可能性が高い、しかし、そのことも自分を成長させるためのものと考えてよし。)、起こった些細な出来事(普段、身につけていたものを忘れた。つまり、今日は、必要ないから、神の導きによって忘れたと考えてよし)

で、他には、自分が望んでいる方向に物事が進まなかったとする。たとえば、髪の色を変えたとする。しかし、自分が思った髪の色とは違っていたとする。そこで、普通なら美容師に腹を立てるだろう。「人間本位」のものの考え方であれば。じゃないのだ。「神の導き」によって生きるという考え方であれば、「神様は、今の自分には、自分が思いえがいていた髪の色ではなく、この、今、美容師の手によって染められた髪の色こそ、今の自分に必要な色であって、これでいいのだ」と、最初は無理矢理でもいいから考える癖をつけること。で、実際、その「神の導き」によって、染められた新しい「髪色」を見た、あの、林檎のファンのなかには、自分(あの、林檎のこと)にとって、必要のないファン(あの、林檎をマイナスな方向に向かわせる、鬱陶しいファンのこと)は幻滅して、離れて行き、(ありがたや、ありがたや)自分(あの、林檎)にとってプラスになるファンが、あのや、林檎に新しく、つくのだ。勿論、佳子の着る服、ヘアースタイルも同じことが言える。で、もし、仮に、自分が最初思いえがいた、髪色にこだわり、美容師に憤慨して、クレーム、もしくは、美容室を変えて、自分の求めてる髪色に再度染め直ししたとしたらどうだろう?👀勿論、林檎、あのにとって、鬱陶しいファンは、いつまでもついてくるし、あのや、林檎にとってプラスになるファンは新しく加わってこんよな?👀つまり、こういう生き方をしてる「自我」たっぷり、「自分本位」たっぷりの生き方が人生を狂わせていくんよ。つまり、「結論」で言うと、「自分がかわいくなることがすべてではないんよ👀」だから、あのが金髪になったのも、イエス様のお導きなんよ👀だから、時期がくれば、黒髪に戻るから、今は、我慢して、金髪を受け入れろな👀あの👀それに、結構、かわいいやんな、あの?👀実際、俺、昨日、林檎、あの、佳子に、この「はてなブログ」に書きかけの、野生動物たちの続きの文章を書きたいんやけど、「神の導き」によって生きる生き方を、俺は実践してるから、我慢してこの「神の導き」によって「生きる」という文章を、林檎、あの、佳子に共有するために「今」書いてるんよ👀勿論、今、ムズムズしてて気持ち悪いよ👀だって、昨日の野生動物たちの文章、書きかけなんやからね👀でも、その欲求を満たすことを「主」が「今」は、臨んでおられないから、複雑な気持ちでこの文章を書いてるんよ👀そう、野生動物たちの続きの文章は、あとで書いていいんやけど、「今」じゃないんよ👀もっと、言うなら、俺、さっきまで「zshingoの日記」書いてる途中やったんよ👀でも、デイケアのメンバーで、やりともないゲーム我慢してやってたら、ふと、林檎とあのと佳子に、【「主」の導きによって生きる生き方】を共有せなあかん気持ちが、何故か?このタイミングでムクムクって湧き上がってきたから、書きかけの日記を中断してこの文章を書いてるんよ👀つまり、イエス様から俺に『司令』がくだされたんよ👀そう、【自分の自我を優先せんで、「神様」の導きに沿って生きるつまり、禅仏教で言うところの、『行雲流水』の「生き方」を実践して、貫くことは、「楽じゃない」のよ👀】もっと、言うなら、俺、精神病院に入院している時に、林檎には前、話したけど、俺のお気に入りのピンクのクリアフレームのメガネを、イエス様から、ある時に叩き壊せって言われたから、叩き壊したんよ👀で、そのあと、長かった髪もバッサリ切れって、精神病院入院中の時にイエス様に言われたんよ👀(病院に2週間にいっぺん床屋くるんよ👀)で、俺、切りとうなかったから、それだけはカンベンしてくれ、そもそも、イエス様だって、髪長いじゃないですか?って言ったんよ👀そしたら、精神状態どんどん悪くなって、一般病棟から、PICUって言う、「緊急治療室」(精神病の重症者が閉じ込められる、鍵のかかった部屋、共同のフロアで飯を食う時なんか、重症の精神病者がそこらへんで垂れ流した糞や小便の臭いかぎながら飯を食うことが日常茶飯事のとこ)ところ入れさせられて、勿論、PICU入ることは、任意だから拒むこともできたんやけど、主治医にうまいこと丸め込まれて強制的に入れられたんよ👀あとからわかったことなんやけど、本当は、入る時には、受領書って紙に、患者のサインして、患者の印鑑もらってはじめて、PICUに入れることが、医師の責務らしいのよ👀でも、俺、そんなこと何も告げられず、PICUに叩き込まれたんよ👀そして、そこに入れられて、重度の認知症のおじいちゃんがいたのよ👀で、俺、もう一発で見抜いたんやけど、その人、わけのわからんたわごとブツブツ言って、そこらへんで、糞したり、小便も、ズボンおろして食堂でジャージャーするような重症患者なんやけど、ちゃんと「霊天上界」の人と交信してるのがわかったんよ。こんなこと、よう言うてたな、そのおじいちゃん。「私は、今日、どこで待っていれば、いいのですか?今日は、私は行くつもりがありません。時期を見合わせようと考えているのですが?」てきな、独り言を大声でブツブツブツブツ言ってるんよ👀もう、めちゃくちゃ、うるさいんよ👀で、話しはもとに戻すと、そのおじいちゃんと、PICUで、俺が、はじめて出会った時に、最初、そのおじいちゃん面白そうな人やなと思って、おじいちゃんが座っている向かいのテーブルの席に座ったんよ👀俺から👀で、途中から、おじいちゃん、なんも喋らんくなったから、なんとなく、気まずくなって、俺、立ち上がってテーブル離れたんよ👀で、俺、お決まりの、同じところぐるぐるまわってたんよ👀(アカシジアの影響)食堂付近を。そしたら、おじいちゃんが、手招きしてきて、さっき俺が座ってた、おじいちゃんの向かいの席にもう一度、座れって言うてきたんよ👀勿論、座ったよ👀そしたら、おじいちゃんまた、わけのわからんたわごとブツブツブツブツ言い出して、ある時、俺の方を向いてこう言ったんよ『これからは、あんたが、「中心」になっていくんやから』って👀そう、イエス様は、はじめから、その認知症のおじいちゃんと俺を出会わせて、おじいちゃんが言った言葉(これからは、あんたが、中心になっていくんやから)を俺に伝えたかったんよ👀イエス様は👀そのために、俺が、精神状態悪くなるような、メガネを叩き壊させたり、髪を切れって言ってきたのよ👀イエス様は👀イエス様は、俺が、髪を切りたくないって、反発してくることもお見通しやったんよ👀で、俺、イエス様の司令に反発したって罪悪感で精神状態どんどん悪くなっていったんよ👀で、もっと言うなら、叩き壊されたメガネを見た看護師がちゃんと、報告書(主治医が患者の状態を把握するためのもの)に、メガネが叩き壊されていたことを書いてるのよ。それで、PICUへ入る道がどんどん開けていったんよ👀だから、最初から、イエス様のご計画は、俺の精神状態狂わせて、認知症のおじいちゃんと俺を出会わせて、俺が、これから担う仕事を認知し、理解してもらいたかったんよ👀【続きね】俺、昨日、背中に「A〜M」までのタトゥーを入れたのは、知ってるよな?👀で、俺、そん時、彫師さんと、オーナーさんに、アルファベットが、まっすぐ並ぶように入れて下さいって伝えたんよ👀で、どんな感じに真っ直ぐにして欲しいか、「画像」もスマホで見せたんよ👀で、彫師さんのほうは、すぐに了解してくれたんよ👀でも、それを聞いてたオーナーさんが、真っ直ぐにするより、ゆるいアーチ型になるようにアルファベットを入れたほうがカッコいいって言われたんよ👀で、昔の俺やったら、そこで「自分の意見を通して、オーナーさんの言うことを断ってたんよ👀それでも、話が通じなかったら、じゃ考えますって言って店、変えてたんよ👀」でも、宗教に目覚めて、自分に起こる「すべての出来事は、神様の導きによるもの」ということを知って、俺の生き方変わったんよ👀で、俺、勿論、オーナーさんの言う通り、ゆるいアーチ型にタトゥー入れたんよ👀一生、死ぬまで消えタトゥーを👀つまり、これが「神」の導きによって生きるという生き方なんよ👀で、勿論、どうしても、嫌なときは、自分の「意見」を、そこで是が非でも(ぜがひでも)通すんじゃなくて、「考えます」って言って「保留」にすることもできるんよ👀そしたら、今度は、それにあった「新しい道」を「神様」が用意してくれるんよ👀ただ、一つだけ『絶対やっちゃいけんことは、そこで、自分の意見を無理に通そうとして、相手と喧嘩になることは、絶対やっちゃいけんのよ👀』俺からしたら、なんだかんだ言って、3人はかわいいんよ👀