羊をめぐる冒険、そして、羊抜けとは、いかなる、ものか

りんご、つまりさ、自我の探求を、どこまでも、追い求めている、うちは、残念ながら、真の、芸能家とは、言え、ないんだよ、何故なら、そもそも、真の芸術とは、追い求める、ものではなく、あちら側から、つまり、芸術と言う、独立した、一つの、感情を、持った、幽体が、気まぐれに、不意に、やってくる、もの、なんだから、芸術とは、追い求めれば、追い求めるほど、奴らは、遠ざかる、傾向に、あんだよ。

つまり、その、奴らが、嫌うのは、人間のプライドや、有名になりたいと思う、邪神を、嫌う、傾向に、ある、幽体なんだから。そもそもが。

 

そう、だから、今、幸福論、歌舞伎町の女王、丸の内サディスティックを、つくりあげた、ときの、感覚を、今、よく、思い出せないで、いるんだろ?

そう、つまり、そういうことなんだよ

芸術と言う、幽体が、気まぐれに、人間の身体に侵入した、瞬間、広がる見え方、感性が、研ぎ澄まされるのだから、つまりは、羊をめぐる冒険に、書かれた、羊🐑そのもの、なんだよ。つまり、今、健一も、りんごも、春樹先生も、みな、同様に、羊抜けの、感覚を、体験させて、もらってるんだよ、そこ、お前ら、そもそも、感謝しろよ、なんでかって、そもそも、羊、入ったことない奴らが、大半な、わけだからさ、そうなると、自ずと、羊抜けの、感覚を、味わうことも、一つの、成長と、捉えていいんだよ、俺から、言わせりゃな、お前ら、三人を、見てて、つくづく、思うことは

そしてさ、もう、地上での、生活に、期待するのも、そろそろ、卒業しようぜ、そう、霊界に、行ったあと、色んな、クリエイティブなこと、お前ら、3人して、いくんだからさ、あとは、地上で、のんびり、とにかく、昼寝でも、毎日してろよ

anoは、別だからな、お前は、まだまだ、課題が、山積みだよ。言いたいことも、山ほど、あるしな