つげ義春著「つげ義春日記」

私は、この「あとがき」の冒頭部分が好きで、このページを何度も何度も読み返した。当時、使っていたアップル社製のアイフォンのメモ欄に丸々1ページ書き写し、暇さえあれば写経したメモ欄を繰り返し読んだ。電車の中でも、歯科の待合室でも、部屋で独り布団の上に寝そべっているときも。喫茶店でも。そんなふうにして私は文学を学んだのだ。勿論、私は、専門的な学校で文学を学んでいないのでど素人だ。村上春樹先生のように、早稲田大学文学部で活字とはなんたるか?を学んでいないのである。カフカも、ドストエフスキートルストイトーマス・マンもスコットフィッツジェラルドヘミングウェイジョン・アーヴィングトルーマンカポーティポール・オースター大江健三郎もレイモンドチャンドラーもレイモンドカバーもカミュもケルアックもアレン・ギンズバーグバロウズもビート文学も全て村上春樹先生の書かれた書籍から独学で学んだのである。(村上春樹先生が影響された作家たちの本をかたっぱしから読み漁ったのだ。つまり乱読したのだ。)しかし、我流には我流の良さがある。そうだ、文学のアウトサイダーアート、つまり、アール・ブリュットなのだ。何も、絵や彫刻だけがアウトサイダーアートではない。文学や音楽も勿論、アウトサイダーアートにあてはまる。勿論、最近、若者の間で流行っているアニメや漫画にも。