2020-07-31 ❷

今日で7月も終わり。色々あったけど1ヶ月頑張った。天神から博多まで歩く。途中、自動販売機で炭酸水を購入。コンビニで買うより冷えている。日差しはそんなに強くないけど暑い。博多のベローチェに入る。結構混んでいる。アイスコーヒーを注文。220円。今日は夕方自助グループに行くのでベローチェで時間を潰す。酒をやめて2年半。今はそんなに強い飲酒欲求はない。私がアルコール依存症になったのは人間関係が原因だ。人に対する恐れが強く、常に酒に酔った状態でないと人と話すのが怖かった。毎日浴びるように酒を飲んだ。週末は大体記憶がなくなるまで飲んでいた。知人宅では違法薬物にも手を出していた。今は酒、薬、ギャンブル、タバコ一切やらない。週に3日は自助グループに通う。しかし無職。酒を飲まなくなって楽な生活を送れるようになったが今だに人に対する恐れはとれない。酒で人間関係を誤魔化していたからだ。しかし、今は誤魔化す酒を飲んでいないので麻酔なしで手術を受けているような感覚だ。そう、私にとって酒なしで生きていくということは麻酔なしで手術を受け続ける感覚に似ている。酒が人間関係を潤滑にする潤滑油だったのだから。故に人が怖い。最近、私は自分が精神障害者であるということを忘れていることが多い。酒をやめているから健常者になったと勘違いしているのかもしれない。何故、私はこんなに孤独なのだろうとか、何故、私以外の周りの人は家庭を築いたり、友達とお喋りを楽しんだり、遊びに行ったりできているのに私にはそれができないのだろう、と考えることが多い。私は自助グループに行ってない時間は大体一人で喫茶店にいるか、独りアパートで過ごす。周囲と比べて余計に惨めになる。しかし、私は精神障害者なのだ。普通の健常者と比べてそれができないのは当たり前なのだ。そう考えると幾分楽になる。普通の人ほどうまく人と付き合えないかもしれないけど、私なりのささやかな楽しみを見つけて生きていくことはできる。親密な人間関係を築くことはできないかもしれないけど自助グループで出会った人とちょっとした会話を楽しむことはできる。そう考えると精神的に大分楽になった。しかし、これから先も人間関係で落ち込んだり、苦しむことはあるだろう。生きている限り、人間関係からは死ぬまで逃れられないのだから。誰とも関係を持たないで一人で生きていくことは物理的にできない。無人島で一人、野蛮な生活をしながら生きていくぐらいの腹をくくらない限り、人間関係からは逃れられないだろう。私にはそれはできない。「生きるということは主観と客観の折り合いをつけ続ける作業の繰り返しだ」と、ある本に書いてあった。主観的なものの見方のみを追求し続けると、部屋から一歩も出ずに足を折り曲げて体育座りするしかなくなると。人が成長していくためには他者との関係が切り離せないと。今の私は、手探りで日々をなんとか生きている状態だから偉そうなことは言えないが、孤独にならないためには自助グループに通い続けることが私にとって必要なんだろう。