【十牛図】

十牛図とは、自分が果たして何者か?という問いを複数の曼荼羅の絵であらわしたものである。複数の曼荼羅の絵の中には、小僧と牛の絵と七福神の爺さんのような絵が登場する。小僧は、真の自分自身を求めて、曼荼羅の絵の中で、牛にまたがってみたりする。すると、年老いた爺さんになり、最終的には、何も描かれていない曼荼羅に到達する。つまり、「無」である。そして、また、振り出しに戻った、小僧の絵が描かれている状態に戻るのである。そう、自分が何者であろうか?と知ろうとすること自体、愚かな行為であるという教えを禅仏教が、複数の曼荼羅の絵によって私たち、人間へ伝えているのである。動物や、木々や、雲、海はただ、そこに自分が存在していることは、知っているが、愚かな人間のように何者か?とは問わない。特に動物は、腹が減れば、飯を食い、眠くなれば、眠るのである。そう、それが本来の生き物の生き方であって、他人を妬んだり、自分を知ろうとする行為は、人間特有の愚かな行為と言える。